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【柚月裕子「盤上の向日葵」_感想】将棋に生きた天才の最期
「歩が打てりゃァなァ。人生と将棋は、ほんと、ままならねえ」(p.554)
将棋とともに生きた棋士の失敗と答えを記した、柚月裕子「盤上の向日葵」の紹介記事です。上条桂介の追憶と警官の捜索がリンクすることで、読者に疑問への解答が示されていく流れになっています。人と人との1対1の関係性、『「できない」という無常観』がしきりに描かれた作品でした。
- 警官組が出した疑問が上条桂介の過去を得て判明していく様
- 上条桂介周囲の人間性の描かれ方
- 上条桂介が選んだ破滅へつながる答え
目次
「盤上の向日葵」概容
あらすじ
数百万もする将棋の駒とともに遺体が発見された。7組の駒の行方を求め、警官の佐野直也と石破剛志は奔走する。
犯人はなぜ将棋の駒を埋めたのか。異例の経歴をもつ棋士、上条桂介の将棋と人間関係に振り回された人生を描く。
主要人物
上条桂介が視点人物となる章は後半にしかありません。しかし序盤から物語の中心人物として描かれていました。一方序章の視点人物だった警官組は後半に行くにつれ影が薄くなっていきます。
上条桂介
異例の経歴を持つ六段の天才棋士。粘り強さと寄せの勢いから『炎の棋士』と呼ばれている。
佐野直也
元奨励会員の巡査。駒に詳しいことを知られ、石破と組まされる。
石破剛士
言葉遣いや人使いは粗いけれど腕は確か。ベテランの警部補。
唐沢光一郎
還暦で教師を引退した。孫代わりと夫婦で桂介を可愛がっている。
上条庸一
桂介の父親。給料が麻雀と酒に消えている。将来は桂介に養ってもらうと決めており、奨励会に行くことを反対した。
東明重慶
賭け将棋で飯を食う歴代最強の『真剣師』。元アマチュア名人。借金に追われた結果、桂介の駒を強奪した。
独特な章構成
警察組が出す疑問と上条桂介の歩みを同時に見ていく作品となっています。そのため章構成が交互から時折ずれたものとなっています。時系列に並べると唐沢→上条(20章まで)→佐野(1章から21章まで)→序章→23章→終章でした。とはいえ、各編ずつ見ていくより序章から順に見ることを推奨します。
視点人物別ストーリー
佐野直也 : 警官2人の駒探し :序、(23以下の9、11以外の奇数)、終
上条桂介 : 上条桂介の人生 :11、(12から22の偶数)
唐沢光一郎 : 孫代わりの少年 : 2、4、6、8、9
ストーリーPickup
以下、ネタバレ注意です。
このような作品は謎が明かされていく過程も大切な要素です。しかし本作の魅力として紹介したい場面が後半に偏ったため、今回は真相の一部を記しています。
遺体から出てきた将棋の駒
1つの遺体からこの物語は始まりました。ともに埋められた将棋の駒の希少性から、佐野と石破は駒の行方を追っていきます。
佐野は将棋界や駒の知識、石破は推理力や経験と県警の切り札を切った形です。彼らは迷走することなく一直線に答えに辿り着きます。
彼らが有能で情報を惜しまない点から、推理作品として読むのは難しいでしょう。
廃人の実父、恩人の義父
桂介にとって父親の庸一を助けるのは当たり前でした。コロッケ1個と食パン0.5斤だけで3日間を過ごすくらい困窮していましたが、小学生なのに早朝から新聞社のアルバイトを行っていました。
異常な常識を変えたのは、将棋雑誌を通して出会った唐沢でした。孫代わりに桂介の生活を支え、将棋を休日に指す。唐沢夫婦は桂介の才能に誰よりも早く気づいていました。
遂に桂介を奨励会に入れることを決めます。親権を得るために庸一と面談しました。初めて『奨励会に行きたい』と希望を伝えた桂介でしたが、庸一の脅迫により奨励会入りは諦めざるを得ませんでした。
唐沢夫婦の桂介への愛情も確かに重要な要素です。しかしこの章で最も映されていたのは、義理親の限界でした。より桂介を愛していた彼らが、桂介を物としか思っていない庸一に負ける虚しさが描かれています。
真剣将棋との出会い
桂介は東京大学に入学しても将棋から離れられませんでした。全国トップクラスの東大将棋部を一蹴して町中の将棋道場を訪れます。
東明と金をかける真剣将棋に初めて出会いました。彼に連れられたバーで勝手に金を賭けられて真剣将棋を指すことに。優勢だった試合運びだったが、局面を恐れて逃げたことで敗北してしまいます。
勝手に賭けられた15万の義理と東明の『本物の将棋』見たさから、桂介は東明の旅打ちに同行することになりました。
なぜ桂介がIT系に進学したか、回答が示される部分です。金を得るために東明が行った作戦は人の道を外れているものでした。わざと1局目に負けて将棋の駒を担保に入れる。東明の作戦に周囲全員が踊らされていることに気付いたのは、全てが終わった後でした。
呪われた血
唐沢がくれた駒を再び買い、ITベンチャーに成功した桂介に残されたのは精神的な死でした。東明によって更に強くなった将棋への思いだけで生きる日々。
日常を変えたのは、庸一や東明との再会でした。金のない2人がそれぞれの手段で金を無心してきます。指導将棋の結果であった東明と違い、ただむしり取っていく庸一への不満が溜まっていきました。
ついに桂介は親子の縁を切ることを決意して諏訪に帰ってきました。金を奪って逃げる庸一から知らされた真実は、血がつながっていないということでした。
息子への虐待、酒や麻雀への逃避、夜遊びの代金の徴収。庸一が行ったことは許されることではありません。しかし庸一の結婚事情から少し同情する余地があったように思えます。
きっかけは春子兄妹の近親相姦の現場に居合わせた偶然でした。春子は口封じのために庸一と結婚、2人は諏訪に逃げます。半年後に生まれた桂介を残し、桂介が9歳のころに春子は亡くなりました。
妻の家系は天寿で亡くなることがほとんどなく、自ら死を選ぶ修正がありました。
庸一が狂ったきっかけは『いかれた血』から逃げたかっただけだったのです。
真剣棋士としての最期
東明の命が尽きる最期の日、天木山で2人は将棋を指していました。賭けるものは東明の命を誰が殺すか。三間飛車穴熊、東明の最も得意な作戦に桂介は居飛穴熊で挑みます。
最期の真剣将棋は穴熊対穴熊と長期戦の構えを見せた戦いでした。互いに負ける訳のいかない真剣勝負だからこそ、妥協が許されません。大学時代は恐れて負けた桂介でしたが、指導将棋を通して成長していました。
まとめ : 二歩
「ここに――」
5三のマス目を指さしながら東明が言う。
「歩が打てりゃァなァ。人生と将棋は、ほんと、ままならねえ」
(中略)
独り言のように言うと、駒台から歩を摘み、大きく振り被った。
盤上に叩きつける。
――☗5三歩。
桂介は驚いて東明を見た。
口角を引き上げ、顔を歪めている。
笑っているのか。
p.554、第二十一章より
震える指で、素早く自玉の腹に置いた。
受けるならこの一手――いつのまにか、そう思えていた。
駒から手を放す。
「あッ」
刹那、声が出た。
p.533、第二十二章より
歩がある列に2枚目の歩を置く。将棋の反則の中で最も分かりやすいのが二歩です。指せれば試合展開を大きく動かせるからこその反則手。
一瞬の油断が招いた音は、読了後にまで残る無常観を表すのにぴったりな言葉でした。
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