伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」 冤罪の闇から逃げ切れるか

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首相が爆殺された。

異性の友人との趣味(ラジコン)、花火工場のバイト、痴漢冤罪。

計画を積み重ねられ、青柳雅治は犯人に祭り上げられた。

「とにかく逃げて、生きろ」親友の言葉を胸に、彼は……


青柳雅春は首相を暗殺した犯人にされた。身に覚えのない言い掛かりを偽装され報道される。社会的に追い詰められていく彼の前に手を差し出すのは……信頼を信条とする主人公が、抗い逃走する物語。

伊坂幸太郎作「ゴールデンスランバー」の紹介記事となっています。

 

作品の元ネタは1963年11月22日、ジョン・F・ケネディがパレード中に銃撃された事件です。この時に実行犯にされたリー・ハーヴェイ・オズワルドの名がこの作品に度々出てきており、作中でも有名事件に数えられています。

この暗殺事件、24日にオズワルドがジャック・ルビーに射殺されていることから事件が迷宮入りしており、よく陰謀論と絡めて説明されます。

現代ではオズワルド単独犯説が有力らしいのですが……。50年以上前にもなると、脚色した証拠や信憑性のない情報も多く判断が難しくなっていきます。なお、本編では「オズワルドにされるぞ」という発言から、何かしらの陰謀論を採用しているようです。

 

伊坂幸太郎曰く「物語の風呂敷は広げるがいかに畳まず楽しんでもらえるのか」(あとがきpp.684)を重要視した作品だそうです。

根本の伏線をわざと回収しないが、細かいものは回収する。余計な解れがなく一貫性のある。他の大衆小説と比べ一つの会話文が長いが、文字数を稼いでる印象はない。これらが私の大まかな感想です。

伊坂幸太郎の作品を初めて読んだため、普段どこまで伏線が絡まっているか知りません。警察やマスコミに不快感を抱くシーンもあります。それでも紹介したいほど畳んでいる様に見せる技術は感動しました。

 

”青柳雅春の逃走劇”という特徴からできる限りネタバレは控えたいと思っています。だから本文では第二部(傍観者視点)、第三部(未来から)を中心に取り扱います。

第二部 事件の視聴者 マスメディアの偏向報道

事件の一部始終を見守る立場として、入院患者は優れていた。

だがそれは情報源を一か所に限ることを意味する。

独善的な正義による報道を、どう捉えるか。


この部では事件の裏側、マスメディアがどのように報じていたかが取り上げられています。また、事件の中心になる「セキュリティポット」や「キルオ」という連続殺人鬼、2年前に「青柳雅春」が関わった出来事についても語られます。

視点人物は田中徹、35歳男性。左足骨折により仙台病院センターで入院していました。機転が利く、裏に通じているといった特徴もない人物です。骨折詐欺の疑いががあり下水道に詳しい老人保土ヶ谷康志、世界情勢や組織に詳しい中学生(本名不明)と違い、彼には優れた機転も大それた知識も持ち合わせていません。だからこそマスコミの発言を鵜呑みにして考察してくれました。

 

以下考察の為、小説の設定についてネタバレがあるので注意してください。

 

 

 

まず「キルオ」と呼ばれた青年について。地の文中では次のように紹介されています。

仙台駅付近で、決まって金曜日の夜に、刃物で刺され殺害される事件が続いたのだ。被害者は老若男女問わず、死後、頬を切り刻まれた中年男性もいれば、首を半分程度まで鋸で切られた女性もいた。(pp.32)

駅近くの連続殺人事件といえば「下関通り魔事件(1999)」や「土浦連続殺傷事件(2008)」辺りが出てきますが、「キルオ」はこれらの犯人とは犯罪規模が違います(両犯人は死刑執行済)。2事件の犯人と異なり証拠が少なく、被害者20人を僅か一年強で無差別殺人しています。

また惨殺な犯行と奇妙な人柄から注目を浴び、偽の自称犯人も登場しました。それに引っ掛かり某テレビ局はスタジオに招こうとし、ひどく批判を受けました。

後々青柳雅春を苦しめるセキュリティポットマシンガンを操る特殊部隊は、彼を捕まえる為だけに動員されています。

後々へと繋がる伏線が入り混じった重要な人物になっています。特に未だに捕まっておらず、尚且つ仙台付近にいるという情報も提示されています。殺人事件、逃亡劇の舞台は仙台市内であるため登場する匂いがします。

 

またこの部は青柳雅春が知りえない視点であり、以降の章に全く出ていない記述もあります。二日目昼の時点で一般人が2人死亡、5人負傷したというたぐいの情報です。銃弾の誤射やら警察車両との衝突の被害者ですが、青柳さんはほとんど見ていません。本編となる第四部でもほとんど表現されていません。

首相を殺人したのだから一般人を傷つけてもおかしくない、そういう心理に誘導する。誰が”Who”が欠落しており悪意のある報道がなされています。これだけに限りませんが、この作品中のマスコミは問題外の狂人に描かれている記述がいくつかあります。

そのうちの一つが次の発言です。

「当時、わたしも取材させていただいたのですが、ぱっと見は好青年で非常に爽やかなんですけどね、時折、落ち着かない仕草を見せていたんですよ」

(中略)

最後にコメントした際の姿が、ゆっくりと再生された。彼の口元が小さく緩むのが分かった。唇の両端が吊りあがり、目元がこわばり、リポーターたちを見下すような表情に見えた。(pp.46)

青柳雅春は事件の2年前、某アイドル宅に侵入した人物を捕まえています。本人の顔立ちも良かったため度々報道されました。有名人ではなく、顔を売るどころが仕事先(宅配業)の営業妨害すらしていました。そりゃ聖人でもなければ怒ります。落ち着かないのも緊張しているからという単純なものでした。

口角が吊り上がった原因も緊張からの解放で説明できます。が、他にも説明手段はあります。人間の表情はわりと簡単に編集できるようです。

『Photoshopで表情変更!笑顔を悲しそうな顔に変える方法』によれば1.口角、2.頬の盛り上がり、3.眉毛を制御することで表情を変えることができるそうです。めそ子さん(上ブログ主)が悪用厳禁というほど効果は高く、プロでなければ気付かないほど自然に見えます。

 

第三部 事件から二十年後 陰謀論と登場人物の最期

あの事件から20年の時が経った。一時の潮流を創った男、青柳雅春は過去の人物となっていた。しかし我々は逃亡劇の裏で亡くなった人を忘れてはならない。関係者の死の怪異を明かさなければならない。たとえ陰謀論と蔑称されていたとしても。


第三部は20年前の金田首相暗殺事件の調査書を書くことになった記者のモノローグです。事件関係者の大半が故人となった後の視点からは、事件当時から着色された物語が紡がれます。

すでに犯人を青柳雅春とする人物はおらず、副首相海老澤克男やアメリカ、地元医師会など様々な陰謀論が提示されています。このように明らかになっていない要因として、公が出した報告書が抽象的で何も答えていないことが挙げられます。

それでは、事件関係者の最期を見ていきましょうか。惨たらしい、もしくは第四部にかかわる人物を中心にPickupしていきます。

 

一人目は(青柳雅春が武器であるラジコンを買ったとされる)ラジコンショップの店主、落合勇蔵です。事件の半年後、酩酊状態高速道路の中央分離帯に衝突し死亡しました。高速道路でも一応(お土産用の)酒は極々一部で売っているらしいです。また持ち込みも可能なので、酔っぱらうのは可能です。ただほとんど酒を飲まない(妻の証言)ことから、陰謀の疑いがあります。

面白いことに、青柳雅春がラジコンを飛ばしたとされる地点にいたそうです。またマスメディアに偽の情報を流した張本人でもあります。

 

二、三人目は井ノ原小梅、倉田愛です。両名は牡鹿半島(下図北東にある女川、石巻市が属する半島)の山道にて崖から落下し命を落としています。

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井ノ原小梅は青柳雅春と仲が良かった女性です。青柳にラジコンを教えた人物であり、落合から買ったラジコンを青柳に渡しています。実行犯?と青柳の中継人物であり、作戦として何度か接していました。だから第四部にもちょくちょく名前が挙がっており、青柳は信頼していました。彼女に連絡を入れなかったのは森田森吾(親友)の警告のおかげでしょう。

一方倉田愛に関しては、青柳雅春と大きな関係がありません。事件前、痴漢に見せかけて風評被害を与えた人です。森田に助けられたこと、作戦は完了していたことから捕まっていません。こいつに関しては擁護する点がない

2人の共通点は多額の借金を背負っていただけであり、相乗りする理由がありません。森田森吾も多額の借金によって事件中に爆死しているため、これらの関係性が問われます。

 

4人目に美容整形外科医(本名不明)を挙げておきます。彼の死因に奇妙な点はありません。が興味深い一言を残しています。「自分もこの事件に関係していたのだ」(pp.95)

第三部の視点からは凛香(事件二年前に救った某アイドル)の美容整形にかかわっていたことを指している、と考えています。彼は第四部に登場し、物語の転機となる情報を渡しました。なお、凛香が整形したかについては示唆はされていますがはっきりとはしていません。

 

このように、暗殺犯は誰か、組織とは何ぞやといった問いには答えていません。あくまでもいくつかの説を残し、この物語を畳んでいます。またどの説が有力かを第四部から探ろうとしても、視点が一般人である青柳雅春であるため手掛かりがありません。

ここまでが約90ページの概要説明です。第四部(560ページ)と比べれば短く伏線を貼るパートでした。ここからは伏線を適当に回収することになるのですが、第四部の紹介は小説の楽しみすら奪いかねません。なので特に印象的な場面を最後に記し、締めさせていただきます。

 

最後に 青柳雅春、最期の一週間

メディアは穢れを隠した手の平を返し、青柳雅春のレッテルを張り替えた。

離れ離れになっても残っていた関係があった。

繋がりを利用して消そうとする組織があった。

彼は語る、「人間の最大の武器は、信頼なんだ」


「名乗らない、正義の味方のおまえたち、本当に雅春が犯人だと信じているのなら、賭けてみろ。金じゃねえぞ、何か自分の人生にとって大事なものを賭けろ。おまえたちは今、それだけのことをやっているんだ。俺たちの人生を、勢いだけで潰す気だ。いいか、これがおまえたちの仕事だということは認める。仕事というのはそういうものだ。ただな、自分の仕事が他人の人生を台無しにするかもしれねえんだったら、覚悟はいるんだよ。バスの運転手も、ビルの設計師も、料理人もな、みんな最善の注意を払ってやってんだよ。なぜなら、他人の人生を背負ってるからだ。覚悟を持てよ」(pp.584)

二日目午後、実家に押し入ったマスメディアに青柳父が送った言葉です。大半の職業では自分が犯した責任を持つ必要があります。しかし、ことマスメディアにおいては虚偽の情報を報道しても、判明しない限り一切謝罪しない傾向にあります。それを批判した発言です。

「昔は真面目だった」「こんなことになるとは思わなかった」そういう意見を求めて来た報道者は、想定外の回答です。この発言に対し、何かを賭ける者はだれ一人いませんでした。それどころか父の言動を不謹慎、非常識と断じ憤慨します。

名前を名乗らない、約束をせずに家前に待機し上がり込んでいないことを自慢する、失言を晒すのを待つ、他人の気持ちを分かっているふり、許可なくマイクを向ける……どちらが非常識でしょうか。

 

今年9月に「でりしゃす」系列4点における大腸菌O157感染事故により、系列17店舗すべてが閉店しました。これにより多くの退職者が発生しましたが、責任を取るのは企業だけです。たとえ事件を拡大させても、報道が責任を取ることはまずありません。

適当な理屈をつけ最初から結論ありきであった取材、報道の為なら業務を遮ってもいいという魂胆、真偽を定める前に伝える焦燥、己たちを正義として真実を伝えようとする使命……マスメディアの性質を愚直に、悪質に出してしまったのがこの冤罪です。

 

Twitter、Facebook、Line……誰でも情報を発信できるようになったからこそ、「報道する覚悟」を持つ必要があると思いました。

 

 

引用および参考資料

伊坂幸太郎、「ゴールデンスランバー」、新潮社(2010)

Photoshopで表情変更!笑顔を悲しそうな顔に変える方法、http://retamame.com/change-expression-serious

通り魔ーWikipedia、https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E3%82%8A%E9%AD%94

 

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