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【三浦しをん「舟を編む」感想】 言葉の海を渡る旅人たち
三浦しおん『舟を編む』は何かに打ち込む熱意が詰まった作品と言える。言葉の海を渡る舟になるように、国語辞典『大渡海』へ情熱を捧げた男たちが描かれていた。本書は何をしたいか分からない、何かに打ち込んでいる人を参考にしたいという人にオススメである。
読みどころ3選
- 登場人物の辞書への愛情
- 若者が恋人を選び、結ばれる過程
- 言葉、辞書がある意味
目次
「舟を編む」概要
あらすじ
第1章
定年間近の荒井公平は辞書の後継ぎに悩んでいた。自身と先生の先は短く、唯一の正社員である西岡正志はあてにならない。そんなとき第一営業部に適した人材がいると西岡正志が言ってきた。
馬締光也を加えた辞書編集部だったが、あるとき玄武書房が辞書の開発を打ち切る噂が流れる。完成までに長年かかり、食った金を取り戻すまでに時間がかかるため、経費削減の対象として真っ先に挙がったのだった。条件を2つ飲むことを条件に開発が続行することになったが……。
第2章
入社3年目の岸辺みどりが辞書編集部に左遷されてきた。やりたいことと対照的な辞書編集部に、唯一の社員、馬締光也は明らかな変人。そんな環境でも辞書と向き合い、辞書の魅力に惹かれていく。
『大渡海』の開発が終盤を迎え、徐々に姿を表していく。しかし、問題は山積みであった。それでも多くの人が『大渡海』に立ち向かい、一つ一つ課題を片づけていった。
登場人物
主要人物
馬締光也(まじめ・みつや)
物語開始時では第一営業部にいる入社3年目の男性。大学院を卒業して入社したが、営業部の求める能力と合わず直属の上司にすら名前を忘れられていた。荒木がスカウトしたことで数々の才を活かすことができるようになる。荒木と違って西岡の対外能力を認めており、感謝の意を込めて『大渡海』の巻末に西岡の名を刻んだ。
『大渡海』を大都会と間違えて荒木の前で熱唱、相手に読めない恋文を書き上げるなど、考える能力は圧倒的だが表現する能力に欠けている。辞書や言葉への思いは非常に強く、10年近く正社員が1人な状況で働き続けた。『早雲荘』には大学生になってからずっと下宿しており、タケおばあさんとは深いつながりを持っている。孫娘の香具矢と出会い、互いに惹かれたことで結婚。2章でも互いの仕事を優先しており子はなしていない。
西岡正志(にしおか・まさし)
馬締の同い年(大学卒業で就職したため5年目)で最初から辞書編集部で働いている。チャラい性格と、嘘を交えてでも空気を和ませる仁義など馬締と対照的に描かれていた人物。
興味がない辞書に興味がないなりに働いていたが、馬締と自分への態度の違いに嫉妬を覚える。しかし、馬締の欠点と自分の得意分野を見つめなおした結果、馬締と『大渡海』を支えるべくマル秘メモを作成する。
書房との交渉の条件として、第2章では宣伝広告部に異動している。『大渡海』の広告宣伝に協力する、岸辺に恋文の位置を教えるといった形で、物語には出ないが陰で活躍していた。
荒木公平(あらき・こうへい)
定年退職が直前に迫った辞書編集部長。その後は嘱託として辞書編集部に関わっている。松本とは半世紀近くの付き合いで、彼も用例採集カードを常備していた。西岡に不備を指摘する一方で、馬締には一目置いている。
辞書にかける情熱は人一倍強く『玄武書房地獄の神保町合宿』のときには、約1か月もの間会社に残り続けた。
第1章
松本
元大学教授で、辞書編集部の外部顧問。定年前に大学を辞めて辞書の道を進んでいた。常に用例採集カードを持ち歩いており、聞いたことのない言葉をまとめておく癖がある。『大渡海』の名付け親で、誰よりも出航を待ちわびていた。
2章終盤、大腸がんが見つかって入院することに。病室でも用例採集カードを手放さなかった。『大渡海』完成の1か月前に亡くなる(享年78歳)。間に合わなかったことを悔いる馬締たちへと、手紙を荒木に送っていた。
佐々木
辞書編集部に所属する契約社員の女性。1章時点で40歳前後。1章の開始から2章まで10年以上事務作業を担当しており、馬締1人しかいなかったときも支えていた。
タケおばあさん
早雲荘の管理人。唯一の在住者である馬締と仲が良く、1階を埋め尽くす本棚も許している。香具矢の祖母で、2人が結ばれることを応援していた。
2章開始の10年前に亡くなった。その後の早雲荘は馬締と香具矢の住居となっている。
林香具矢(はやし・かぐや)
『梅の実』で働いている板前見習い。早雲荘に帰ってきたことをきっかけに馬締と出会う。修行を優先して彼氏と別れた過去があり、新しい彼氏を作ることを躊躇していた。馬締の恋文を見ても確信が持てなかったが、直接馬締から告白され承諾する。
2章では『梅の実』から独立して『月の裏』を経営している。生活時間の違う馬締とは、互いの夢に干渉しないようにして関係を続けていた。松本先生が入院したときには忙しい馬締に代わり、病室に通う。
四日市洋子(よっかいち・ようこ)
大学時代から西岡と腐れ縁の女性。営業部で働いており、西岡に馬締を紹介した。カレーを食べたとき使い終わったスプーンでコップの水を掻き回す癖がある。互いに恋人がいないときにだけ付き合う間柄だったが、西岡の告白により結婚。
第2章では登場しないが、4児の母親となった。
第2章
岸辺みどり(きしべ・みどり)
入社3年目で、女性向けファッション誌『ノーザン・ブラック』の編集部から辞書編集部に移される。当初は今までと正反対の場所に移されたとへこんでいた。ある日、整理中に見つけた西岡からのアドバイス、馬締のラブレターをきっかけに辞書を作ることの楽しさ、言葉の大切さに気づく。
最初は気づかなかった辞書の紙の違いも、2年後には利き辞書ができるくらいにまで紙の違いを研究していた。馬締にも信頼されており、岸辺が了承したことを知ると実物を見ずに問題ないと判断した。
宮本慎一郎(みやもと・しんいちろう)
『大渡海』の紙を特注された会社、あけぼの製紙の営業第二部に所属。玄武書房の社員ではないが『大渡海』のことを真剣に考えており、独特のぬめり感を実現するためにサンプルを作り直す。
温かい色合いとぬめり感を再現した『究極の紙』を作り上げた後、岸辺を食事に誘う。
「舟を編む」ストーリーPickup
月が似合うかぐやとの出会い
満月の明かりの下で、愛猫を取り戻しに来た馬締は香具矢と出会う。容姿に一目惚れした馬締だったが、どうにも気持ちを伝えることができずにいた。西岡の催促とタケおばあさんの援助もあって、遂に香具矢宛の恋文を書き上げる。しかし、それは文学に長けたものでなければ読むのが困難な代物だった。
馬締が恋愛に対しても不器用なこと以上に、この分野でも馬締の優位性を表した1シーン。黙々と辞書に打ち込む姿と、板前修業を縛らない点が香具矢にとって好意的だったのだろう。馬締にとっても辞書のことに突っ込んでこず、時間帯が違っても仲を保てることが救いであった。そうして結ばれた2人に、西岡は嫉妬することになる。
まじめへの嫉妬
馬締は優れているうえに辞書編集部に愛されている。容姿端麗な香具矢と化粧だけは世界レベルの洋子をどうしても比べてしまう。自分だって認めてほしい、疎外感を覚えた西岡だったが、『西行』という言葉をきっかけに考えを変える。
このシーンでは、今まで飄々と浮いていた西岡の心の内が書かれた。
西岡は辞書にも広告宣伝にも興味がなかったが、どこか1箇所は勝ちたかった。香具矢にアプローチしたのも恋愛で勝ちたかったからで、2人が結ばれたことを知って落胆する。辞書に魅入られた3人にはついていけず、来年度からの異動も加わったことによる疎外感が描かれる。
そんなときに『西行』の意味に何を残すか、馬締と議題に挙がった。馬締の問いに西岡が示したのは2つ。1つは富士の伝説による『不死身』、もう1つは西行が生前に行ったことに由来した『遍歴するひと、流れもの』。意味を知らなければ勘違いしかねない、知ったことに何を感じるか、と西岡は過去の経験から意見を述べる。嘘がつけそうにないからこそ馬締からの称賛に救われた。
西岡が残したもの
馬締が対外関係を苦手にしていることは知っていた。そして、次の年からは辞書編集部に馬締しかいなくなる。その事態を踏まえ、自分ができる最大限のものを残そうと決意する。かつて集めた情報を1つのメモに集めて、いざというときのために馬締の恋文のコピーも隠しておいた。次のパートナーがやってくることを願って。
心境が変化した西岡が残したメモをきっかけに、馬締や岸辺が救われて『大渡海』完成につながる重要な伏線。そして、今まで活躍が描かれなかった西岡が、対外という得意分野を存分に活かしたシーンである。
下の場面は明確な心境の変化が見られた箇所である。辞書に意気込む姿は大量に見ているが、西岡が辞書の重要性を体で示した最初の場面で、これ以降陰で辞書の製作に協力する。
しかたなく膝をつこうとして、西岡の筋肉がわずかに反応を示したそのとき。理性の指令が稲妻の如く体を走り、動きを止めさせた。
待てよ。『大渡海』は、そんなに安っぽい辞書なのか。
気持ちなんて一片もこもっていない土下座に、いったいなんの意味がある。まじめが、荒木さんが、松本先生が、魂をこめて作っている辞書は、俺の土下座なんかでどうこうなるような代物じゃないはずだ。もちろん、教授のストレス発散の道具にしてやる義理なんかない。
西岡は土下座を中止し、教授の机に片手をついた。弁当箱のすぐ横に。
参考文献1、137ページより引用。教授の弁当箱は愛人作の愛妻弁当。
「血潮」が凍る事態
ある日、荒木が馬締に駆け寄ってきた。『血潮』という単語が辞書から抜けていたのだ。あってはならない用語の漏れに、辞書編集部はすべてをもう一度調べなおすことを選ぶ。それは地獄の合宿の始まりだった。それは後に『玄武書房地獄の神保町合宿』と呼ばれることになる。
辞書にどれだけ多くの人がかかわっているか、情熱が注がれているかが描かれた場面である。大学や家族よりも辞書を優先するくらい、彼らの意気込みは凄まじいものだった。
たとえ結果が「問題なし」だったとしても、それに文句を言うものは誰もいない。軍隊のような側面もあったが、熱意による統率は読んでいるこちら側に楽しかったことを伝えてくれた。
まとめ:言葉の海を渡るもの
『大渡海』は、松本先生が言葉の海を渡る舟になるようにという願いを込めて作っていたことが描かれる。本書のタイトル『舟を編む』は『大渡海』をモデルにしており、本書のデザインも『大渡海』と一致させていた。
三浦しおん『舟を編む』は何かに打ち込む熱意が詰まった作品と言える。言葉の海を渡る舟になるように、国語辞典『大渡海』へ情熱を捧げた男たちが描かれていた。本書は何をしたいか分からない、何かに打ち込んでいる人を参考にしたいという人にオススメである。
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