ふと小さな疑問が湧いたとき、そこばかりに視線が行ってしまい、いつの間にか森が見えなくなってしまうことがあります。文学にしても学問にしても、分からないところばっかり目を向けたせいで、つまらないと投げ出した経験はないでしょうか。
当記事は投げ出す癖を解決する方法を示すものではありません。今回は、原作:岩井俊二、著:大根仁「打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?」という作品を題材に、細部が気になった結果大筋が見えなくなった失敗談を語る記事となっています。
あらすじ
港町で暮らす典道たちはよく小さな議題で争って賭けあっていた。夏の花火大会当日、「打ち上げ花火は横から見ると丸いのか、平べったいのか」という小さな議題で賭ける5人。そんな日の夕方、密かに想いを寄せていた同級生なずなから「かけおち」に誘われた。しかし、なずなは捕まって離れ離れに。「かけおち」を成功させてなずなを取り戻すため、典道はもう一度同じ一日をやり直すことを選び、”もしも玉”という奇跡を投げた。
主要人物
島田典道
本作の視点人物。中学1年生。なずなとの「かけおち」に成功するために一日を繰り返す。純一たちの行為には呆れており、「丸いか平たいか」の質問もどうでもいいと両断している。
安曇祐介
典道にとって家族の次に一緒にいる程の親友。医者の息子で「奇跡の起きなかった世界」では、自爆して傷ついた典道を自宅に送っている。最初はなずなの「かけおち」相手は彼だった。典道がなずなを好いていることに気付いており、2人が近づけるように動いていた。
田島純一・稔・和弘
典道の同級生。教師にセクハラする純一、純一の子分のような稔、クラス主席でも熱くなりやすい和弘と特徴はあるのだが、如何せん3人の登場場面が重なるため個々人の影は薄い。
及川なずな
小学5年生のときに転校してきた少女。母親の再婚に伴って転校が決まっており、些細な抵抗として「かけおち」を実行した。
主な1日の流れ(典道視点)
- 祐介・純一・稔と登校
- プール掃除の傍らで祐介・なずなと50 m勝負に(if 1)
- 純一たち、「打ち上げ花火を横から見たときの形状」で賭けをする。話の流れで5人は灯台から花火を横から見ると約束する
- 自宅にて祐介とテレビゲームして時間を潰す
- 午後5時、家出したなずなと出会う
- 「かけおち」しようとした2人、駅へ向かう
- なずなの新父親の攻撃を跳ねのけ電車に乗る(if 2)
- 踏切を通過するさい、祐介たちに見つからないようにしゃがむ(if 3)
- 電車、海の上を走って元の駅へ戻る
- なずなと一緒に海から上に咲く花火を眺める
(if 1)祐介に負けた場合、なずなは祐介宅を訪ねるため駅に着くまでの時間が稼げない
(if 2)中学1年が大人に勝つのは、攻撃箇所を予想でもしていない限り困難
(if 3)次の駅で待ち伏せされるため逃げきれなくなる
解決されない疑問点
大まかな話の流れは上のようになっています。この作品はローファンタジーに分類され、多少の世界観のずれは仕方ないかもしれません。しかし、読んでも理由がはっきりとしていない部分がいくつか見られました。
打ち上げ花火の形
本作品の「横から見るか?」の起点となった打ち上げ花火の形。もしもの可能性が進むに連れて世界の図形が狂っていくため、答えが出ぬまま何度もこの質問を投げ掛けられることになります。
この問題の答えは先駆者が酷評とともに説明しているように、『一般的な花火は丸いが時には平べったい花火も存在する』となっています。なので、そもそもこの質問で話を広げることが間違っているという、中学生時代の浅い知識が出てしまった場面になります。最終章の結末になってようやく、ここの打ち上げ花火は丸いことが明かされますが……感動してほしい場面で納得がいくというのは創作者にとって望ましくない展開のように思います。
崩壊する世界の図形
もしも玉を投げることで、典道たちはもしもの平行世界に移ることができました。分岐点から世界を始める度に、世界の図形が所々崩れていきます。扇形の柱から円筒になったスイカバー、醜くなる花火の横顔、海の上を通って循環する線路、曲がりくねったクロマツの防波林。一方で駅や家の間取りといったその他の部分は変化していません。
本作においては最後までこの回答がなされていません。印象に残るものだけ狂って見えたのならば、2周目のループに直接関わった駅舎や電車も変化すると考えられます。3つが該当するものとすれば、もしもを願った代償として「その形のままであってほしい」という期待が犠牲になったといったところでしょうか。
新親父の暴力
1周目のもしもの世界、捕まるなずなを見て典道は本来の世界のことを思い出します。連れ去られてほしくない、と想い、なずなの新親父(典道にとってはおっさん)の腕を掴みました。まみずが母親によって捕まったあとなのにもかかわらず、説得することなく体を振り回し、肘打ちを典道の頬にぶつけて倒しています。
犯人が赤の他人だと分かっており、理由のない暴力を振るっていることから刑法208条:暴行罪に該当します。目の前で他人に暴力を振るって逃亡してもなお話題にもせずに結婚する、なずなの母親の魂胆は相当に強いようです。母親は娘のかばんの中身をぶちまいてでも引っ張っており、似たもの同士の夫婦ともいえますが。
追いつけない大人たち
少なくとも21世紀の港町が舞台となっている本作。インターネットとつなげる端末は既に実用化されており、時刻表を見る手段はあったはずです。時刻から電車の方向と到達時刻が分かっているのだから彼らを見なくても先回りは余裕だったかのように思えます。
この疑問に関しては作者も予想はしていたのか、3回目のもしもで線路の軌道を変える荒業に出ます。確かに既存のルートと違えば時刻表は役立たずになるでしょう。しかし、線路の軌道が突然変わるとなれば、線路や踏切が移動することになり、交通網の乱れによる大騒動になると思われます。逆にそれが当たり前だとすれば、停車駅が乗車駅しかないのだから何故探し回ったのでしょうか。これらの謎を解くカギは最後まで見つかりませんでした。
なずな、海上に直立する
茂下駅に帰ってきた2人は、なずなからの提案で花火を下から見ることになりました。なずなは黒いワンピースと素足で海の中へ走っていきます。遅れて典道が波打ち際へたどり着くと、彼女は水面に直立していました。
15 m離れた地点まで水中に居続け、水面へ浮上、そのまま直立する。図形が狂った世界で現実の常識を当てはめるのはどうかと思いますが、水が変わったという描写がない以上謎として残ります。更には、もしもの世界が終わった後も2人はその地点から動いておらず、直立で徐々に沈んでいくたいへんシュールな光景になっていました。本人たちは水中でキスしていますが、花火を観戦している人にとってしてみれば溺れているようにしか見えない光景です。世界が戻った肝心の場面で非現実的な行動をされれば突っ込みたくもなってきます。
まとめ
細かい疑問点に着目した結果、大きな話の流れに取り残される失敗談となっていました。小さなことに囚われ過ぎない、反面教師として見ていただければ幸いです。
本題ではありませんが「打ち上げ花火、横から見るか? 下から見るか?」は未熟な少年が好きな女子を守るために1日を繰り返すタイムリープ系とされています。事態が改悪することがなく場面が進んでいくため、タイムリープにおける試行錯誤や1つのことに打ち込む思いが好きな人には決して薦められない作品でした。それを踏まえてもなお、細かい所を気にせずに未熟な恋愛模様が見たい方へ向けた小説だったのではないかと考えています。
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