旅立つ命を想い、一人でも心からの涙を流す人がいれば、それこそが、その命の集大成なのだ
203ページより引用
生きている以上死なないものはありません。生きた人ではなく死んだ人に向けた仕事もあり、どんな状況でも働くことが求められています。しかしほとんど彼らについて語られることはありません。
本記事は新谷亜貴子作「ゆずりは」の紹介記事になっています。残された人ができる最後のことである葬儀を全うするために働いている人たちの物語です。死に近い職場の人間が導いた死の意味、血は繋がっていない義理の親子の愛情について描かれていました。
あらすじ
街唯一の葬儀場である平安会館。心が死んでいくことを実感した水島は、周りの反感を押し切って高梨を採用した。
様々な人の死や高梨を通して、次第に水島のトラウマが和らぎ『心の命』が蘇っていく。
読みどころ3選
- 水島と高梨の親子のような関係
- 過去の贖罪を続ける水島の心境
- 『死』に対する見かたの違い
主要人物
本作では、面接で名前を提示した高梨以外名前にルビがふられていません。
水島正二
本作の視点人物で平安会館のNo.299。子供を作れないと知り自暴自棄になっていたことが原因で妻を自殺させてしまう。心が死んでいくことを実感して藁にもすがる思いで高梨を採用した。
高梨歩(たかなし すすむ)
『大切なもの』の心が読める若者。学力は低く、態度も悪く、空気も読まないが人を思う気持ちは一流。
松波平次郎
平安会館の社長。水島の元妻の義父であり、贖罪として平安会館で働かせている。水島と同じく子供を作ることができず、水島へ同情していた。
咲
5歳下の優太を交通事故で亡くして話すことができなくなった少女。弟の心の声を聴くことができた。後に高梨と結婚する。
矢野美鈴
享年15歳(中学3年)。ピアノと本が好きなおとなしい少女だったが、周囲にいじめられて自殺した。
ストーリーPickup
葬儀屋に合わない男
面接に現れたこいつを見て、誰もが息を呑んだ。茶髪にピアス、それも、耳と唇に合計三個だ。一応スーツを着てはいたが、どこからどう見ても、廃れたクラブで適当に働く、ナンバー4くらいのホストにしか見えなかった。
p.5より引用。
面接にやってきたのは、見た目、態度、発言のどれを取っても失格級のイマドキ男でした。欠点だらけの高梨でしたが、最後の質問に対する答えを水島は気に入りました。当然同僚から猛反対されるのですが、真剣な態度に押し負けて採用されることになりました。
高梨は人の感情に敏感で、人が隠したい心境を解き明かしてしまいます。感情の機敏にも敏感で、最初のころは葬儀の度に泣いてしまっていました。このように社長が掲げる葬儀屋の主張と食い違っています。しかし、水島は高梨の人とは違う『心』へ自分の『心の命』を託しました。
さりげない一言で
話したときにはさりげない一言だったとしても、過去を思い出したときに人生の大きな転換となっていることがあります。本作中でも気にせず発した一言がきっかけで心が傷ついた人がいました。
水島にとってはとある子供に向けた、「頑張れ」という言葉がトラウマになっています。当時の水島にとっては些細な応援の言葉でした。しかし、亡くなった父親が命令形に傷つけられた過去があり、息子に言わないように心掛けていたことを告げられます。この事件以降、どんな言葉が相手を傷つけるかわからないからと最小限の言葉で済ませるようになってしまいました。
美鈴が自殺した根本のきっかけは「おはよう」といういつもの挨拶でした。届いていなかった、返事ができない状況にあったといった可能性を考えずに無視されたと思った結果がクラス単位のいじめにつながっています。
一方で些細な言葉1つで人が救われることもあります。短絡的な思考から来た言動だったのかもしれませんが、高梨は一言の重みを本能的に知っていたからこそ空気を読まずに核心をつく発言をしていたのでしょう。
最後の言葉
亡くなった者の最期の言葉について、本編中で何度か語られていました。特に6章「最後の言葉」にて、咲と優太の姉弟を中心に後々の伏線もかねて語られています。
両親は咲には優太の心を読み取る不思議な力があると感じていました。優太の死とともに咲は話せなくなってしまいます。両親は優太の最期の嘆きや苦しみが原因ではないかと考え、最後の言葉を咲に聞くことをためらっていました。
高梨はやらずに後悔するよりやって後悔することを選ぶ性格です。水島は高梨の行動が凶とでて多感な少女の心が傷つくことを恐れていましたが、咲を救えると信じて見守ることにしました。高梨が咲に伝えたいことはオウムインコの『ひょっとこ』の最期でした。かつて面接で水島たちに伝えたことに加え、『ひょっとこ』からの最後の言葉を伝えます。
『ひょっとこ』、そして優太の言葉は大好きな人の名前でした。咲は続きの答えを問いますが、高梨は呼びたかっただけと答えます。
松波の最後の言葉もまた、久方ぶりに呼んだ、愛する妻の名前でした。以前の高梨が出した考えに共感していた水島は、松波の妻へ高梨の言葉をそのまま伝えています。
6章ではかつて泣き虫であった高梨が泣くことなく1人の少女を救ったという成長、水島の心が生き返りつつある描写としての涙が描かれます。水島の作務を高梨が学び、高梨の心意気を水島が汲む――互いが信頼しているからこそ起こりえた奇跡だといえました。
「息子」ではなく「担当」として
水島にとって松波は義理の父親であり、遺書を見るまでは遺族側に座ることを考えていました。松波の頼みを受け、義母に葬儀を担当すると伝えます。
葬儀本番、水島の手元に原稿はありません。義理の親子ではなく、涙を失うことなく職務を遂行した『人生の道しるべ』として語りました。
最後に、君に頼みがある。私の葬儀は、君が担当してくれ。ただし、葬儀に私情は持ち込むな。感情を押し殺し、職務を全うするのだ。
201ページより引用
妻が自殺する直前、水島は酒と一夜限りの女に溺れていました。罪を償うために義父の葬儀屋に就職しています。
松波は最愛の人の死を見届けた水島が立派な葬儀屋になれると期待していました。一時は憎んだ相手ではありますが、遺書には生きた証と考える程に信用を置いています。
水島は松波の期待に沿えるように一人前に成長し、次の世代を見つけ出しました。このように、本章では松波から受け継がれた信念や水島の成長が主題となっています。
まとめ:散る者への答え
(実際の表紙は藍色基調の表紙に一本の木が描かれたシンプルなデザインになっています)
「人は、どうして死ぬのかな」
高梨の眉が、ぴくりと動く。
「誰のために、花は散るんだろうか」
庭のゆずりはに目をやり、独り言のように呟いた。252ページより引用
最愛の人を亡くし、長年葬儀屋として働いてきても、なぜ死ぬのかという答えを見つけることはできませんでした。答えがないと分かってながらも高梨へ疑問を投げかけると、「理由なんてない」と返されました。
水島と高梨には血の繋がりや義理の関係もなく。友人や先輩・後輩のような年齢差でもありません。しかし彼らを繋いでいた親子のような関係は簡単には切れず、時が経って同僚でなくなっても続いていました。
本作では無意識に信頼し、律することのできる関係が中心に書かれています。死に対する向き合い方や親子のような関係が気になっている人にすすめられる作品でした。
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